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 『狂わせたいの』や『オー!マイキー』の奇才・石橋義正が、着想から実に6年を費やして完成させた本作品『ミロクローゼ』。2011年3月香港映画祭を皮切りにインド、ヨーロッパ、オーストラリア、ニューヨーク、など世界巡回上映ののちにようやく日本で公開が決定された。
 映画は山田孝之が扮する全く異なるキャラクターの三人の主人公が、「ミロクローゼ=太陽」という名前のファム・ファタル(運命の女性)を追い求める、しかし本当は自分自身を捜す旅の様な話。
 それぞれの設定は時代や世界が異なっているというより、すぐ隣りに存在しているいわばパラレルワールド。精神分析でドッペルゲルガーとは自分とは異なった自分自身を見てしまうことであるが、これはドッペルゲルガーの三人版。もしくは山田孝之扮する三人が石橋監督自身のアルター・エゴだとすると、これはドッペルゲルガーの4人版ともいえるかも知れない。。。
 アンドレ・ブルトンの小説『ナジャ』のなかの、「私とは誰か?」というフランス語Qui suis-je?は、同時に「私は誰を追っているのか?」という意味でもある。恋人との関係の仲にすでに「私は誰か?」という自己同一性の問いが含まれている。自分自身を問うことは他人を追うことでもあり、「他の自分」を追うことを意味する。同小説の冒頭で、「誰と付き合っているかをいえば君が誰なのか当てよう」という文章が出て来る。付き合う=hanterは、また(幽霊などが)付きまとう、取り憑くということも意味する。私が付きまとっている「他の私」は、現実の中の自我が分裂した幽霊的なものである。
 この石橋オペラの『ミロクローゼ』もまた幽霊的な「他の私」を捜す旅にほかならない。「ミロクローゼ=太陽」には近付き過ぎると、イカロスの羽のように喪失し落下するか、直視すれば目が焼かれてしまう。
 原作が漫画やドラマの焼直し映画ばかリの昨今の日本映画界。石橋監督は映画の新しさと価値の喪失を嘆き、このオリジナル映画を作ったという。石橋監督の新しい映画捜しは、また石橋監督自身を捜す旅でもあるのかも知れない。
ヴィヴィアン佐藤(ドラァグクイーン、美術家)